#267 写真と父と愛情と

長く、暑かった1週間。
最後の土曜日の日没をお気に入りの場所で迎えた。
暑いだけではなくて、様々なことが起こった1週間ではあったけれども、
この場所のこの風景の中にあるすべてが、この1週間で起こったすべての事を消し去ってくれた。
漂う波の音、彷徨う風の音、多くの鳥の鳴き声と、夕暮れ間近の歓喜に沸く子供たちの声。
夏の暑い、日没間近の晴海運河で耳に聴こえる音。
iPodのイヤホンを外して聴いた運河沿いの街の音。
波の音、風の音、太陽が輝くリズムに合わせて、何度もシャッターを押した。
「お好みの写真が撮れましたか?」
私が持ち歩いているR8など比べ物にならないほど、立派なカメラを持った初老の男性が声をかけてきた。
「もう少し綺麗な夕暮れを迎えると思ったのですが、夏の雲に邪魔されてしまいましたよ。」と男性が言った。
「夏の夕暮れは雲が綺麗だと思うんです。彼らは空のアーティストですよ。」と私。
男性は「うんうん。」と頷きながらニッコリと笑った。
それから少しばかり話をさせていただいた。
「写真はね、カメラが撮るもんじゃないんですよ。心です、心が撮るんです。どんな写真も撮った人の愛情の
固まりなんですよ。」と別れ際に男性が言った。
こんな事、前にも聞いた。
写真好きだった父が私が子供の頃にそんな事を言っていた。

 
1964年、1965年 古い写真の中にたくさんの愛情を感じた


家には、父が撮ってくれた、ビックリするぐらいたくさんの私の写真がある。
プリントがなく、フィルムだけというのもかなりある。
父が生きていた頃は、何とも思っていなかったけれど、今、父が撮ってくれた写真を見ると、とても多くの父の
愛情を感じる事ができる。
父は本当に私の事を愛していてくれたのだと写真を通して感じる事ができる。
その愛情に私は何一つ答えることができないうちに、父は亡くなってしまったような気がする。
父が遺してくれた多くのモノクロ写真をまじまじと見て思う。
やっぱり私は幸せ者なんだと。


“好きなものが多いほうが幸せに決まってる”


Today's Tune
Reflections http://www.youtube.com/watch?v=6qWfixk-p80