#346 一過性ではなく

私が子供の頃、ずっと幼かった頃、東京はそんなに明るくなかったと思う。
あまりに昔過ぎて、良くは憶えてはいないのだけれども、この暗さを暗くて、不便と思うよりも、
むしろ懐かしさを感じるのはそのせいだと思う。
日本人が、闇の中にある光の美しさを見いだしていた頃に比べると、東京だけではなく、日本中が
明るすぎて、闇の中にある一筋、一点の美しさを求めていた事をすっかりと忘れているような気がする。

今までが明るすぎた。
人は明るい光の下で常に行動を余儀なくされて、街を行き交う人々の顔は、険しく、疲れていたけれど、
今は闇の中にある光を楽しむかのように、人々の顔は、穏やかになっていて、相手に対する思いやりが
増しているような気がする。
少し前までは、通りすがりに相手にぶつかると怪訝な顔をされたり、舌打ちをされたりもしたけれど、
今ではお互いに道を譲り合い、「すいません。」と言えるようにもなっている。

ふと子供の頃に母に良く言われた事を思い出した。
「暗くなったら帰ってくるのよ。」
そして、その闇の先には明るく大きな家族の絆があった。
計画停電の中、多くの家庭で家族そろって多くの事が話し合われたと聞く。
震災が起きた事はとても大変な事だし、亡くなった方の事を考えると、胸が締め付けられる思いがするけれど、
この震災が古来から持っていた日本の姿を再度、思い出させてくれたような気がする。

神戸の震災直後、とても不自由だったのを憶えている。
いや、思い出した。
あまりの便利さの中で忘れていた事を思い出させてくれた。
今、東京では「暗さ」「陰影」を歓迎するムードになっている。
ただ、この状態が一過性のもので終わってほしくはないと心から思う。