#229


 3月、2回目の満月を永代橋の隅田川テラスで待っていた。ところが月の出の時間の東の空はあいにくの曇り空。
夜が更ける毎に雲がなくなることは分かっていたし、永代橋の上には三脚にカメラをのせて満月を待っている数人
の人たちがいたが、この日は風が冷たく、とてもとても晴れるのを待つだけの気力も根性も、この日はなかった。
 こんなに風が冷たくなるなら、もう少し厚着してくれば良かったと思ったが、晴れるのであれば、自宅の窓から
でも見ることができるであろうと、帰ることに。バスと地下鉄に揺られること30分。地下から地上に上がって、
空を見上げると、雲はすっかりと晴れて、小さな星がポツンポツンと見えていた。これなら十分にきれいな満月を
見ることができるだろう。しかし、まだ昇り始めてから20分ほどなので、多くのビルやマンションなどが邪魔を
してまだ見ることはかなわない。こんな時、東京に住んでいる事がうとましく思う。
 この日の月の出は18時23分だったので、自宅周辺からまともに見ることの出来る時間帯は23時以降かなと
思い、それまでの時間はカメラのメモリーカードに溜っぱなしになっていた写真をパソコンに移動したり、整理し
たりしていた。
 23時半ごろ、もうそろそろ時間かなと思い、窓から外を見てみると、かろうじて月が放つ光が見えたので、
下の公園からなら見えるだろうと思い、カメラを持って公園に行った。 相変わらず風は冷たかった。桜の花房が
冷たい風に揺れながら、満開の時を今かと待ちわびていた。
 思ったとおり。公園から青白い満月が、銀色に輝く光を放ちながら、深い深い藍色の空に浮かんでいた。しばし
月を眺め、カメラのファインダーを覗く。


 ”メモリーカードがありません”


 さっきメモリーカードを抜いたことをすっかり忘れていた。気分が高揚し、さて!という時に限って、よくこの
様な間の抜けたことをする。どうしたって、満月を見たさにうかされているとしか思えない。部屋にメモリーカー
ドを取りに戻り、メモリーカードを差し込み、写真を数枚撮った。



東京 自宅近くの公園


 何て表現してよいのか、どんな言葉をあてたらいいのか。もっと国語の勉強をちゃんとしておくんだったとか、
もっとたくさん本を読んでおけば良かったとか、頭の中でジタバタした。
 あとは月を眺めながら、いろいろな事をたくさん考えた。
 電話でもなく、メールでもなく、インターネットでもなく、月というサーバーを通じて、今、日本中の人たちが
”思いと想い”で繋がっているんだなと思うと、一人で見ていても一人ではないんだと感じる。
 フレンドのブログにかかれていた言葉。


 『”一人”と”一緒” 矛盾しているとは思えない』


私が思っていることと、フレンドが思っていることに多少の違いはあるかもしれないけれど、自分の回りに多くの
人がいるから、普段は一緒に、共に時間を共有する人たちがいるから、今の自分は一人なんだと感じるのだと思う。
でも、決して”ひとりぼっち”ではなく、今は一人なんだと。
 1年の間で月が見える限り、多くの”思いと想い”は、月の放つ銀色の光の中に溶け込んで、それを伝えてくれそ
うな気がしている。