#237

  
  


 昨日、15キロほど歩いた。この距離を歩くのは本当に久しぶりのことです。
下谷、入谷、浅草、向島、東向島を経て、荒川河川敷を北千住まで歩いた。
 本当は、随筆家である幸田文が見た風景、感じた風景を本を片手に歩こうと思ったので
すが、なんか、これまた久しぶりに見た空の青さと春の風に見事に心奪われて、いつの間
にやら、広い空と、流れる雲を追いかける散歩に変わってしまっていた。
 昨日は今日のように”雲ひとつない”空ではなかったので、太陽が雲の影に隠れている間、
色を少しだけ失っていた風景も、雲の影から徐々に顔を見せ始めると、失われつつあった
色が鮮やかに蘇り、緑は生き生きと、黄色は鮮やかに、白はのびのびと、青は高々と輝き、
広がっていく光景は本当に素晴らしいもの。声はすれ度も姿が見えない多くの鳥たちも声
高らかに歌い始めます。 それほど、太陽の光は私たちにとって大事なものであることを
認識させてくれたのです。


  


 たぶん、多くの人が”雲ひとつない”空が好きなんだと思います。
でも、私はこの青い空にポッカリと、プカプカと、そして流れるように尾を引いている
雲がある風景がとてつもなく好きでたまらない。
 ”雲ひとつない”空は、確かにキレイだと思うし、爽やかな気持ちになるでしょう。
 でも正直、長く見ているとのっぺりとしてしまって、見ていて飽きてしまう。
 空に浮かぶ雲は、空のアクセントだし、想像力を高めてくれる素晴らしい存在です。


 
 多くの人たちが、日々忙しい毎日を過ごし、多くのストレスに晒されている。だから
こうして日長1日、自分をリセットさせるための時間は必要なのだと思う。
 他人から見たら、”無駄な1日”と思える時間も、自分にとっては大切な時間。自分の
時間を持つことは、自分の体と心には大切な時間。人に惑わされず、回りに踊らされる
ことなく、自分の時間を大切にできる人が私は好きなのです。